継体天皇のあと、安閑(アンカン)、宣化(センカ)、欽明(キンメイ)、敏達(ビダツ)、用明(ヨウメイ)、崇峻(スシュン)と代を重ねます。この時期、日本の歴史は大きく動いていました。
欽明天皇の御代には、百済から仏像と経典がもたらされ、仏教が公式に伝来します。これを受け入れるべきか否かをめぐって、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が激しく対立しました。争いは蘇我氏の勝利に終わり、以後、蘇我氏が政治の実権を握っていきます。

崇峻天皇は、権力を強める蘇我馬子との対立の末、暗殺されるという異例の最期を迎えました。混乱のなかで即位したのが、敏達天皇の后であった推古天皇です。第三十三代、日本初の女性天皇の誕生でした。
その御代、甥にあたる聖徳太子(厩戸皇子)が摂政として政治を補佐し、冠位十二階や十七条憲法が定められ、遣隋使が派遣されました。仏教は国家の保護のもとで花開き、飛鳥文化が生まれます。日本という国のかたちが、はっきりと現れはじめた時代でした。

しかし古事記は、推古天皇について驚くほど簡潔です。「小治田宮(おはりだのみや)に坐しまして、天下を治めたまひき」。そして御陵の場所を記して、それで終わります。聖徳太子の名も、憲法のことも、そこには書かれていません。

天地開闢の壮大な物語から始まった書物が、最後は数行の系譜となって静かに閉じられる。それは、神話が完全に歴史へと溶け込んだことの証なのかもしれません。混沌の海に矛を差し入れた、あの遠い日から。長い長い旅路が、ここで終わります。