第十六代・仁徳天皇は、難波の高津宮(たかつのみや)に都を置きました。あるとき天皇が高い山に登って四方を見渡すと、国じゅうの家々から炊事の煙が立ちのぼっていないことに気づきます。
「民が貧しく、飯を炊くこともできずにいるのだ」。そう察した天皇は、三年間、すべての税と労役を免除すると宣言しました。その間、宮殿は荒れるにまかせ、屋根が破れて雨漏りしても、天皇は修理を許しませんでした。衣も履物も擦り切れるまで用いたと伝えられます。

三年が過ぎ、ふたたび山に登ると、家々からは豊かに煙が立ちのぼっていました。天皇は喜んで皇后に語ります。「朕(われ)はすでに富んだ」。皇后が「宮殿は破れ、衣も破れているのに、どうして富んだと言えるのですか」と問うと、天皇は答えました。「民が富むことこそ、朕が富むことだ」。この治世から、仁徳天皇は「聖帝(ひじりのみかど)」と讃えられました。
一方で、天皇の私生活は波乱に満ちていました。皇后石之日売命は嫉妬深いことで知られ、天皇が他の女性に心を寄せるたびに激しく怒りました。あるとき皇后が出かけている隙に、天皇が八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)を宮に召したことが発覚します。

帰路でそれを聞いた皇后は、船に積んでいた御綱柏(みつながしわ)をすべて海に投げ捨て、宮には戻らず、山城の筒木(つつき)に籠もってしまいました。天皇は歌を贈って何度も呼び戻そうとしますが、皇后はついに応じなかったといいます。

聖帝と讃えられる政治の姿と、恋に揺れる生々しい人間の姿。そのどちらも並べて記すところに、古事記という書物の面白さがあります。