第十五代・応神天皇の御代は、海の向こうとの交流が一気に活発になった時代として描かれます。
百済の国から和邇吉師(王仁)が遣わされ、『論語』十巻と『千字文』一巻を携えて渡ってきました。これが日本に漢字と儒教の学問が伝わった始まりとされ、以後の文化の土台となっていきます。

学問だけではありません。機織りの技術者、鍛冶の工人、酒造りの職人たちも次々と渡来しました。なかでも酒造りを伝えた須須許理が醸した酒を飲んだ天皇は、たいそう上機嫌になって歌を詠み、道端の大きな石を杖で打つと、石が逃げ出したという愉快な逸話も残されています。

一方で、皇位継承をめぐる物語も語られます。天皇は末子の宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)を後継に望みましたが、天皇の死後、兄の大山守命(オオヤマモリノミコト)が皇位を奪おうと兵を挙げます。もう一人の兄・大雀命(オオサザキノミコト)と協力してこれを退けた郎子は、しかし兄に位を譲ろうとして譲り合いを続け、ついに自ら命を絶ったと伝えられます。

こうして即位したのが大雀命、すなわち次章の仁徳天皇です。応神天皇は後世、武運を司る八幡神と同一視され、全国四万社ともいわれる八幡宮に祀られていきました。神話の時代から、大陸と交わる現実の歴史へ。中巻はここで幕を閉じます。