第十代・崇神天皇の御代、国じゅうに疫病が広がりました。人々は次々と倒れ、国民の半ばが失われるほどの惨状だったと古事記は伝えます。
天皇は神牀(かむとこ)に伏して神意を求めました。すると夢に大物主神が現れ、こう告げます。「この疫病は私の意志によるものだ。我が子孫である意富多多泥古を探し出し、私を祀らせよ。そうすれば災いは止み、国は安らかになるだろう」。

天皇はただちに人を遣わし、河内の美努村(みののむら)でオオタタネコを見つけ出しました。彼に三輪山の神を祀らせると、猛威をふるっていた疫病はぴたりと収まり、国は再び豊かさを取り戻します。

国が落ち着くと、天皇は四方に将軍を派遣しました。北陸へ大毘古命、東海へ建沼河別命、西道へ吉備津彦命、丹波へ日子坐王。のちに「四道将軍(シドウショウグン)」と呼ばれるこの遠征により、まつろわぬ地は次々と平定されていきます。

さらに天皇は、男には狩りの獲物を、女には織物を納めさせる制度を定めました。これが日本で初めての税とされます。宗教的な祭祀と、実務的な統治。その両輪を整えた功績から、崇神天皇は「御肇国天皇」、すなわち初めて国を治めた天皇と称えられました。