第十四代・仲哀天皇は、筑紫の香椎宮(かしいのみや)で、熊曽を討つべきかどうか神意を問いました。天皇が琴を弾き、建内宿禰(タケノウチノスクネ)が神託を求めると、后息長帯比売命に神が降りて告げます。
「西の方に国がある。金銀をはじめ、目にも輝かしい珍宝が多くある国だ。私は今、その国を帰服させて汝に授けよう」。しかし天皇は疑いました。「高い所に登って西を見ても、国土は見えず、ただ大海があるばかりだ」。そう言って偽りを言う神だと決めつけ、琴を弾く手を止めてしまいます。

しばらくして灯りをつけると、天皇はすでに息絶えていました。神の言葉を軽んじた報いでした。人々は驚き、国じゅうの罪や穢れを祓い清めて、あらためて神託を仰ぎます。神は同じ言葉を繰り返し、さらに「この国は、今お腹にいる御子が治めるべき国である」と告げました。
皇后は身重の体でした。それでも神の意に従い、腹に石を巻きつけて出産を遅らせると、軍船を整えて海を渡ります。すると追い風が吹き、大小の魚たちが船を背負って進み、波は新羅の国のなかばまで押し寄せたと古事記は語ります。

この威勢に驚いた新羅の王は戦わずして降り、「今後は天皇の御馬飼として仕え、毎年貢ぎ物を絶やしません」と誓いました。百済もこれに倣ったと記されます。

帰国した皇后は筑紫の宇美(うみ)の地で御子を出産しました。のちの応神天皇です。皇后は神功皇后と呼ばれ、幼い御子に代わって長く政を執ったと伝えられます。この遠征譚は、史実性をめぐって近代以降さまざまに議論されてきました。