第二十一代・雄略天皇は、古事記のなかでもひときわ激しい人物として描かれます。即位の前後には、皇位を争う兄弟や従兄弟を次々に討ち、気に入らぬ者があれば容赦しませんでした。人々は彼を「大悪天皇」と呼び、同時に「有徳天皇」とも称えたと伝えられます。
ある日、天皇が葛城山(かつらぎやま)に登ったときのことです。向かいの尾根を、行列が進んでいるのが見えました。よく見ると、その装束も、人数も、隊列の様子も、自分たちとまったく同じです。

天皇は怒って叫びました。「この倭の国に、我のほかに大王はないはずだ。何者だ」。すると相手も同じ言葉を返してきます。天皇はいよいよ怒り、矢をつがえました。相手もまた、同じように矢をつがえます。
そこで天皇が名を問うと、向こうが先に名乗りました。「我は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城之一言主大神である」。それを聞いた天皇は畏れ入り、太刀や弓矢、供の者たちの衣服まで脱がせて献上し、深く拝みました。神は喜び、山を下りる天皇を長谷の入り口まで送り届けたといいます。

荒ぶる大王でさえ、神の前には頭を垂れる。力を誇る者と、それを超える存在との関係を鮮やかに示す場面です。

一方で雄略天皇は、豊かな歌の世界も残しました。三輪川のほとりで出会った美しい乙女・赤猪子(アカイコ)に「宮に召そう」と告げたまま、うっかり八十年も忘れてしまい、老いた彼女が現れたときには深く恥じて歌を贈った、という物語も伝えられています。