第十九代・允恭天皇は、即位を固辞し続けた人物でした。長く病を患っていたため「自分は天下を治めるにふさわしくない」と辞退しましたが、群臣の懇願と皇后の説得によって、ついに位に就きます。
その御代、大きな問題がありました。人々が勝手に高い氏姓(うじかばね)を名乗り、家系の秩序がすっかり乱れていたのです。天皇は言いました。「氏姓が乱れたままでは、正しい政はできない」。

そこで行われたのが盟神探湯です。飛鳥の甘樫丘(あまかしのおか)に釜を据えて湯を煮えたぎらせ、人々に手を入れさせました。正しい氏姓を名乗る者は無事で、偽る者は火傷を負うという神判です。結果、偽っていた者たちは怖れて逃げ出し、氏姓の秩序は正されたと古事記は伝えます。
この御代にはもう一つ、切ない物語が語られます。皇太子木梨之軽太子は、同母妹の軽大郎女と愛し合ってしまいました。同母の兄妹の恋は、当時最大の禁忌でした。

事が露見すると人心は太子を離れ、太子は伊予(今の愛媛)へ流されます。妹は兄を慕って後を追い、伊予の地でついに再会を果たしました。しかし二人に許される道はなく、ともに命を絶ったと伝えられます。

「君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ」。あなたが去って長い日が過ぎました、もう待ってはいられない、迎えに行きます。二人が交わした歌は、古事記のなかでもとりわけ美しく、悲しい響きを残しています。